Frank Bolick
元プロ野球選手。
右投両打、ポジションは内野手。背番号は7番。
1966年6月28日生まれ、米国ペンシルベニア州出身。
マウント・カーメル高校からジョージア工科大学を経て、1987年、ドラフト9位でミルウォーキー・ブリュワーズに入団。
以後メジャー・マイナー・独立リーグを転々とし、1999年、来日し千葉ロッテマリーンズに入団。
1年目から活躍し、ジェフ・バリーやデリック・メイと共に打撃陣を牽引。本塁打を打った試合はほとんど勝つという「ボーリック神話」を生み出した。
2001年7月19日の「延長お釣りなし逆転サヨナラ満塁本塁打」は野球ファンの間で語り草となっている。
同年、指名打者部門でベストナインを受賞した。
しかし、2002年は開幕からの極度の不調に加え、左膝痛などで二軍暮らしが続き、同年8月に退団が発表された。
通算成績は打率.266、92本塁打、288打点。
マリーンズ史上屈指の優良外国人選手である。
千葉マリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ対福岡ダイエーホークス14回戦。
マリーンズはネイサン・ミンチー、ホークスは倉野信次の両先発で始まったこの試合は、シーソーゲームを展開。
3点差をひっくり返したマリーンズが9回の表まで6−5でリードし、守護神小林雅英を投入。
マリーンズは千葉マリンスタジアムで7連勝中で、右翼席に集まっていたファンとしては、まさに期待通りの展開だった。
しかし、先頭バッター柴原洋に中前へ運ばれ、その後小久保裕紀の犠飛でホームイン。
後続は絶ったものの、同点にされたマリーンズの9回裏の攻撃は3分で終了。観客の大半が球場を後にした。
10回表のマウンドは吉田篤史。秋山幸二を仕留めたものの、トニー・ミッチェルと浜名千広に連打され、降板。
後続は左のリリーフエース、藤田宗一。ホークスは柴原に代わり大道典嘉が代打として登場。
右翼ポール際に勝ち越し本塁打を放ち、9−6。ボールは右翼席のファンによってグラウンドに投げ返された。
10回裏の千葉マリンスタジアム。最寄駅である海浜幕張駅の東京行き快速列車はすでに終電。
観客は自家用車で来場した者とまともな帰宅手段をあきらめた者であった。
ホークスは守護神ロドニー・ペドラザを送り込む。
マリーンズは1番小坂誠からの好打順で、左安打。2番サブローも三塁強襲安打で無死1、2塁。
3番福浦和也が左安打で無死満塁となった。
ここで迎える打者は、5回に同点となる本塁打を放っているマリーンズの主砲、フランク・ボーリック。
わずかに残る観客はみな「ボーリック神話」の再興を夢見ていた。
ボーリックは、投げ込まれたペドラザの初球を打ち上げる。
内野フライかと思われた打球は、風に乗ってバックスクリーン左端部に放り込まれてしまった。
歓喜の渦に巻き込まれるライトスタンド。ようやく引き上げるペドラザの横を駆け抜けるボーリック。
ヒーローインタビューでボーリックは、「外野フライで1点取ろうと思っていました」と語っている。
その事実が示すとおり、この打席で同僚デリック・メイのバットを借りて打席に立っている。
ライトスタンドに残るファンが鳴り響かせる「レッツゴー ボーリック!」の歓声がやむことはなく、
球場の照明が落ちても球場の外で日付が変わるまで叫び続けた。
2001年7月9日のスコア
チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | R |
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福岡ダイエーホークス | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 3 | 9 |
千葉ロッテマリーンズ | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4x | 10 |