【2008年開幕時点】 試練はいきなりやってきた。'36年オフ、 「名古屋」の編成の長・河野安通志[あつし]が退団〜新球団・イーグルスのオーナーに就任。するとレギュラー級4選手があとを追い、監督・池田豊は審判転向。で、ガタガタになった新チームの指揮を執ることになったのが初代「50」の桝。 選手としても三番・センターで奮迅するも、(8球団中)春7位〜秋は最下位と苦戦。とはいえ'36年の球界最大背番号が「30」だった所へ "驚天動地の「50」”を着て臨んだあたり、決意のほどは伝わってくる。 日本球界において、背番号[ゼッケン]に "アソビ”を煎れた元祖 {※1}でもある。 10年後、浜崎の背で復活…