今年1月に焼失してしまった択捉島の紗那国民学校で、ソ連軍侵攻時に校長を務めていた青田武貴(たけき)さん(1990年に88歳で死去)が書き残した日誌などの資料を「北方領土遺産」として記録にとどめておきたいと思う。北海道根室振興局時代に取り組んだ「北方領土遺産発掘・継承事業」が縁で、数年前にご遺族からデータの提供を受けていたものだ。 最初に掲載する日誌は、択捉島の住民に引揚命令が出た1947年(昭和22年)9月2日から始まる。樺太・真岡経由で函館への引揚船に乗船する直前の9月18日まで、日々の出来事が記されている。 日誌をはじめとした資料は、ソ連の学校で使用したと思われる「学習ノート」に書かれてい…