MLB投手。 2010年12月15日、オハイオ州クリーブランドで死去。92歳だった。 アメリカ合衆国アイオワ州生まれ。 17歳だった1936年にメジャーリーグにデビュー。 1940年のシーズンには史上初となる開幕戦での無安打無得点試合の離れ業を演じるなど、「火の玉投手」の異名を取った剛速球でファンを魅了した。 クリーブランド・インディアンズ一筋18年間で通算266勝162敗。 1962年に米野球殿堂入りした。
ボブ・フェラーのピッチング
ロバート・ウィリアム・アンドリュー・"ボブ"・フェラー (28歳※1946年時) 1946年成績 48試合 防御率2.18 26勝 15敗 WHIP1.16 371.1回 348奪三振 153与四球 (※太字はリーグトップ) 通算成績 570試合 266勝 162敗 防御率3.25 WHIP1.32 2581奪三振 タイトル・表彰 投手三冠:1回(1940年) 最多勝利:6回(1939年-1941年、1946年-1947年、1951年)※歴代2位 最優秀防御率:1回(1940年) 最多奪三振:7回(1938年-1941年、1946年-1948年) アメリカ野球殿堂入り:1962年 経歴 クリー…
サイ・ヤングの通算成績 906登板 749完投(MLB記録)511勝(MLB記録)316敗(MLB記録)防御率 2.63 7356イニング(MLB記録)2803奪三振(MLB20位)7092被安打(MLB記録)自責点 2147(MLB記録) ほとんど完投じゃねーか 奪三振少ないなあ 完投完投アンド完投 奪三振率3.43 サイボーグか何か? サイヤングの通産と同じ年数サイヤング賞とった選手の成績の合算したら同じくらいになるかね? マウンドとの距離が狭いときの投手とかwみたいにアメリカのなんJ民みたいな奴に言われてんのかなつーかアメリカ史上最高の投手って誰だろ日本だと大体記録だと金やんが上位にいる…
リロイ・ロバート・ペイジ 通算成績(※MLB6年間) 28勝 31敗 防御率3.29 ニグロリーグ時代の成績は詳しいのが無かったため、省きます 【経歴】(※ニグロリーグ時代は多すぎるので省略します) クリーブランド・インディアンス(1948-1949) フィラデルフィア・スターズ(1950) シカゴ・アメリカンジャイアンツ(1951) セントルイス・ブラウンズ(1951-1953) カンザスシティ・モナークス(1955) カンザスシティ・アスレチックス(1965) アメリカ野球殿堂入り:1971年 伝説の史上最速投手 ニグロリーグ時代に、約2500試合に登板、2000勝以上をあげ、そのうち完封…
本名が日本の放送コード完全アウトで有名 フランク・エドワード・マンコビッチ(Frank Edward Mankovitch, 1937年3月12日 - 2011年3月27日) 再現年度…1962年(0勝0敗 防御率3.72) 査定 登録名 前作では本名を入力しても問題なかったんですが(よく考えたらそっちの方がおかしいのかもしれない)、今作では最初の3文字が入っているだけで弾かれるようになっているらしく、そのまま本名を入力することが出来なくなっています。 本名の読み方を変えて入力するのはちょっとアレなので、苦し紛れの英語表記で対応することにしました。ただの人名なのに… 追記 確認してみたところ…
【アメリカン・リーグ】 ~東部地区~ BAL:ボルチモア・オリオールズ 【投手】 【野手】 クリス・デービス2013年 クリス・デービス カル・リプケンJr.1991年 BOS:ボストン・レッドソックス 【投手】 クリス・セール 2017年 ペドロ・マルティネス 2000年 ウェイク・フィールド2007年 松坂大輔 2008年 【野手】 デビッド・オルティーズ2006年 ペドロ・マルティネス 2018年 ムーキー・ベッツ 2018年 J.D.マルティネス 2018年 ザンダー・ボガーツ 2019年 ラファエル・デバース 2019年 NYY:ニューヨーク・ヤンキース 【投手】 アロルディス・チャ…
クリーブランド・ミュニシパル・スタジアム(Cleveland Municipal Stadium)です。 単にクリーブランド・スタジアムもしくはミュニシパル・スタジアムと呼ばれることの方が一般的だったようです。 こちらが在りし日の姿です。https://deadballbaseball.com/?p=3622 日本語版のWikipediaにはナゴヤ球場はこの球場をモデルにしたとあります。似てるのかなあ。クリーブランド・スタジアムに行ったことがないので、なんとも言えないです。 1941年7月16日にリーグ・パークでの連続試合安打を56まで伸ばしたジョー・ディマジオですが、翌7月17日にクリーブラ…
ルー・ブードロー像の記事で触れた、ジョー・ディマジオが56試合連続安打を放ったリーグ・パーク(跡地)です。 beautifulballparks.hatenablog.com ホームから三塁側の煉瓦壁が残っているので、壊されないうちにと思い10年程前に一度訪れています。 しかし、数年前、壊されるどころか野球場として整備された上、博物館も併設されたのです。ただし、週に一日か二日しか開けておらず、私のスケジュールとは合わないと思いつつ、外からだけでもと見に行ってみました。 ところが、なんと球場のフェンスなどが工事中で、立ち会うために博物館の方も中にいらっしゃったので、展示も見せていただくことができ…
こちらは、ルー・ブードロー(Lou Boudreau)像です。 ものすごく面白いというか、とても多才な方です。 1917年生まれ。イリノイ大学在学中は野球とバスケットで活躍し、1936-37シーズンでは野球とバスケットで所属するビッグ・テン・カンファレンス制覇。1937-38シーズンにはバスケットでNCAA オールアメリカンに選出。しかし、MLB Indiansから将来Indiansでプレーするという非公開契約を結び、金銭も得たため大学スポーツへの出場権をなくします。38年9月9日にIndiansで三塁手のケルトナー(Ken Keltner)に代わり途中出場でデビュー。38年はこの1試合だけの…
プログレッシブ・パークのメインゲートであるセンター後方の入り口には、ボブ・フェラー(Bob Feller)の銅像が飾られています。 1936年17歳の若さでデビュー、Indians一筋に1956年まで投げ、266勝。真珠湾攻撃の翌日に入隊志願し、全盛期と言ってもよい1942年から1945年の終戦までの記録にブランクがなければ、もっと大きく数字を上積みできたことでしょう。従軍中は主に戦艦アラバマに乗船していました。 日本では火の玉投手のニックネームで知られていますが、アメリカでも"The Heater from Van Meter"、"Bullet Bob"、"Rapid Robert"と剛速球…
その-8 令和2年2月25日、火曜日の朝のこと、藤沢慎二は何時も通り今の職場である心霊科学研究所東部大阪第2分室に7時50分頃に着き、タイムカードにスリットした後、執務室に入る。既に正木省吾、すなわちファンドさんが来て居り、スマホを何やら熱心に見詰めていた。 「おはよ~う」 「おはようございま~す」 挨拶を交わした後、世界では新型コロナウイルス感染症の騒ぎが大きくなっていること、株価に大きな変動が起こっていること等、ひと通り世間話をし、慎二は自前のノートパソコン、「神の手」をおもむろに開いた。そして、上手く書けたと思う時は即座にブログにアップ出来るように、テザリング用に格安のSIMを挿したスマ…