Mario Kempes
アルゼンチン代表のサッカー選手 (1996年現役引退)
フルネーム : Mario Alberto Kempes (マリオ・アルベルト・ケンペス)
生年月日 : 1954年7月15日
出身地 : Bell Ville, Córdoba (ベル・ビジェ、コルドバ州、アルゼンチン)
身長・体重 : 181cm・78Kg
ポジション : センターフォワード
愛称 : El Matador (エル・マタドール, 闘牛士という意味)
1964〜68 : タジェレス・ベル・ビジェ
1968〜71 : アトレチコ・ビブレティカ
1971〜73 : ACコルドバ
1974〜76 : ロサリオ・セントラル
1976〜81 : バレンシアCF (スペイン)
1981〜82 : リーベル・プレート
1982〜84 : エルクレスCF (スペイン)
1986〜87 : ファースト・ヴィエナ (オーストリア)
1987〜90 : VSEザンクトペルテン (オーストリア)
1990〜92 : クレムーザSC (オーストリア)
1995 : フェルナンデス・ビアル (チリ)
1996 : ペリタ・ジャワ (インドネシア)
デビュー : 1973年9月23日・ボリビア戦
出場・得点 : 43試合・20得点
1974年 : 6試合・無得点 (2次リーグ)
1978年 : 7試合・6得点 (優勝、得点王、大会最優秀選手)
1982年 : 5試合・無得点 (2次リーグ)
1993 : バレンシアCF (スペイン) * エクトル・ニュネスのアシスタントコーチ
1996 : ペリタ・ジャワ (インドネシア) * 選手兼任
1996 : SKルシューニャ (アルバニア)
1997〜98 : ミネロス・デ・ガヤナ (ベネズエラ)
1999 : ザ・ストロンゲスト (ボリビア)
2000〜01 : インデペンディエンテペトロレロ (ボリビア)
「 アルゼンチンサッカーの歴史に足跡を残した多くの選手の1人にすぎない 」 と自らを語った控えめな口調とは裏腹に、そのプレースタイルは勇猛果敢に敵陣に攻め入り、ディフェンスを間一髪かわし一撃でゴールを決める、まさに 「 エル・マタドール*1 」 さながらのスーパースター。
9歳からサッカーを始め、地元クラブリーグの得点王に輝き優勝に導いた実績からトップリーグへと階段を上り始め、スペインリーグに移籍。1978年、地元アルゼンチンで開催されたワールドカップでの活躍で世界に名をとどろかせた。あのディエゴ・マラドーナが自伝で 「 アルゼンチンサッカーを世界に知らしめた男 」 と紹介している。
*1:スペインリーグ移籍以来、そう呼ばれた