フランスの新教徒(カルヴァン派の信徒)。 商工業に従事する信者が多かった。旧教徒との対立は当時のフランスの歴史の大きな軸の一つ。 ナントの勅令(1598年)で一応の決着を見るが、その後ユグノーの勢力が増し、フランス王権にとっての邪魔者となることで問題は再燃。ナントの勅令の廃止(1685年)によって多くのユグノーが海外に逃れ、それはフランスの経済力を落とし、亡命先の国力を増すことになった。 最終的にルイ18世時代の寛容令によって信仰の自由を獲得。
◆ルイ14世のフォンテーヌブロー王令(1685)により、ナントの王令(1598)は撤回されました。この措置は、アンリ4世の暗殺(1610)後のカトリックとユグノーの対立に終止符を打ち、ユグノーをフランス国内から一掃しようとするものでした。 ◆高校の世界史教科書では、次のように記述されています。 「ナントの王令の廃止(1685年)によって、ユグノーの商工業者が大量に亡命したことで国内産業の発展も阻害された。」【山川「詳説世界史」】 ◆この時、オランダ、イギリス、スイス、ブランデンブルク=プロイセン、新大陸などに亡命したユグノーは、約20万人と言われています。 ◆私も、授業では、これ以上のことには…