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ラファエル・ファン・デル・ファールト

(スポーツ)
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Rafael Van Der Vaart
オランダ代表歴のあるサッカー選手

プロフィール

フルネーム : Rafael Ferdinand Van Der Vaart (ラファエル・フェルディナンド・ファン・デル・ファールト
生年月日 :1983年2月11日
出身地 : Heemskerk (ヘームスケルク、オランダ)
身長・体重 : 175cm・70kg
ポジション : MF (オフェンシブハーフ、右サイドハーフ)、FW (ストライカー、セカンドトップ)
ニックネーム : Rafee

所属クラブ

1999〜05 : AFCアヤックス
2005〜08 : ハンブルガーSV (ドイツ)
2008〜10 : レアル・マドリーCF (スペイン)
2010〜12 : トテナム・ホットスパーFC (イングランド)  ※2010年8月31日に移籍
2012〜 : ハンブルガーSV (ドイツ)  ※2012年8月31日に移籍

プレースタイル

オランダ代表の未来を担うであろう期待の攻撃の選手。MFやFWなど攻撃のポジションをほとんどこなし、高いテクニックと得点能力を誇るユーティリティプレーヤー。愛称はラフィ。

クラブ経歴

ヘームスケルクに生まれ10歳でAFCアヤックスに入団。初めてのフルシーズンである2000-01シーズンには、コー・アドリアーンセ監督がベテランのリチャード・ビチュヘに替えてファン・デル・ファールトを中盤に起用。その期待に見事に応え、27試合に出場し7得点を挙げた。
2001-02シーズンは、ロナルド・クーマンの指揮下で20試合に出場し14得点という高い得点力を発揮し、チームのエールディビジとアムステルカップ (KNVBカップ、いわゆるオランダカップ) の2冠達成に貢献。2002年2月のRKCワールワイク戦でひざに手術を要する重傷を負ってしまいフル稼働とはいかなかったが、活躍を評価されエールディビジの年間最優秀若手選手に選出された。

怪我が完治しないまま迎えた2002-03シーズン、2002年8月に行われたオランダ・スーパーカップのPSV戦で怪我から復帰すると、いきなり2得点を挙げ3-1の勝利に貢献。しかし、その後も2度の故障に見舞われるなどシーズンフルでの活躍は出来ず、それでも21試合に出場し18得点という素晴らしい成績を残した。
2005-06シーズン、ドイツブンデスリーガのハンブルガーSVに移籍。しかし、けがをしてしまいフルシーズン出場はならなかったが3得点を記録。クラブはブンデスリーガ3位の成績で、翌2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場に貢献した。しかし、その頃から移籍の噂が絶えず (ユヴェントスFCバレンシアCFチェルシーFCレアル・マドリーCFASローマなど)「ハンブルガーSVからの移籍は時間の問題」 とまでいわていた。そして2008年8月、意中のレアル・マドリーCF (スペイン) へ移籍した。だが、レアル・マドリーCFでのプレーは満足のいくものではなく、2010年8月31日にイングランド・プレミアリーグのトテナム・ホットスパーFCへ800万ポンドでの移籍が発表された。
2012年8月31日、移籍金1300万ユーロで古巣のハンブルガーSVに復帰。

代表経歴

2000年夏にアルゼンチンで行われたFIFAワールドユース選手権にオランダU-21代表として出場。その後2001年10月6日のアンドラ戦でオランダ代表デビュー。EURO2004ではトップ下のレギュラーとして期待されていたが、初戦のドイツ戦以後はベンチスタートと期待以上の活躍は出来なかった。その後は低迷が続き、新戦力の台頭に押され低位置を確保できずにいたが、2006FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選終盤戦で、チームを本大会出場に導く活躍を見せ見事復活。今後のオランダ代表の鍵を握る存在である。
そして、2006年FIFAワールドカップ (オランダ代表はベスト16で敗退)では4試合中3試合に出場し、2年後のEURO2008 (準々決勝で敗退)でも4試合中3試合に出場、2010年FIFAワールドカップ (準優勝)では7試合中5試合に出場、UEFA EURO 2012では3試合に出場し (グループステージ敗退) 1得点を記録した。

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