ランカシャー・スタイルは、レスリングの一種。イギリスのランカシャー地方でかつて盛んに行なわれていた。また他のスタイル同様、イギリスの植民地へ持ち込まれたが、特に19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国を中心に人気を博した。イギリスでは一地方のマイナーなスポーツだったが、アメリカでの人気を受けてロンドンでも脚光を浴びるようになった。後のプロレスリングの成立過程に大きな影響を与え、近代オリンピックにおけるフリー・スタイルの元にもなった。
組み方は決まっておらず、組み手争いがある。決着は基本的には両肩を床面に付けてカウントを取る二点フォールによった。寝技がある。関節技はサブミッション(降参させる)狙いよりも相手の両肩を床に付けるための手として使われた。相手に怪我を負わせるか、時には死に至らしめるような危険な技術も発達した。肘打ちのような限定的な打撃が使われることもあった。半裸で靴を履くのが通常の衣装だった。試合は数分で終ることもあれば数時間に及ぶこともあった。
ランカシャー・スタイルはキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルとも呼ばれる。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンとは文字通りに取れば「掴めるように掴め」ということである。しかし、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンと書いてあれば必ずランカシャー・スタイルを指すというわけではない。基本的に組み方が決められているコーニッシュやカンブリアンにおいて、その組み手の規定を自由にした変形ルールで行なうという場合にも使われた。また、グレコローマン・スタイルに対しても、コーニッシュなどと比べれば自由度が高いルールであるため、この言葉が形容詞として使われた例がある。この意味では、「キャッチ・フー・キャッチ・キャン」や「キャッチ・アズ・ユー・キャン」という言い方も使われていた。
やがてランカシャー系のレスリング・スタイルがメジャーになるとともに、この言葉もその代名詞として定着していったのだろう。ここから派生した別の言葉としては「キャッチ・レスリング」という語を挙げることができる。またフリー・スタイルも当初はキャッチ・アズ・キャッチ・キャン・スタイルと称していた。
コーニッシュ・スタイルやカンバーランド・ウェストモーランド・スタイルが19世紀頃のフォーク(民俗)・レスリングとしての形態をよく残しているのに比べ、ランカシャー・スタイルは、その流れが後のプロレスリングやフリー・スタイルなどへ取り込まれていったために、その旧態が必ずしも伝わっていない。また19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本からアメリカやヨーロッパに渡って活動した何人もの柔術家たちから影響を受けたことも、このスタイルの歴史的な姿を分かりにくくしている。
よく論争の的になるのは、オリンピック式のフリー・スタイルからは「省かれた」とされる関節技や絞め技(ストラングル・ホールド)、窒息技(スロート・ホールド)などの技術が、元々のランカシャー・スタイルにどの程度あったかということである。ある者はそれらの全ては柔術から取り入れられたとする。また別の者は、それらのほとんどは元からあったのだと述べる。20世紀のランカシャー・レスリングが柔術から全く影響を受けなかったことはないという点は確かであり、また近代柔道競技もその成立過程においてレスリングから影響を受けている。
アメリカにおけるレスリングの大家であり、「ファーマー」の愛称で知られたマーチン・バーンズ(1861年生 - 1937年没)は、柔術の技について、その著書『Lessons in Wrestling & Physical Culture』の中で、窒息技と人体急所への鋭い打撃の仕方を除けば、熟練したキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのレスラーが柔術から学ぶことはない
、と述べている。
事実として、ニュージーランドの新聞デイリー・サザン・クロス紙は、その1873年6月13日号の三面で、英ランカシャー地方の都市ウィガン近郊のインスにおいて行なわれたレスリング興行での死亡事故を伝えている。これによると、飛び入りでレスラーに挑戦した酔客がフルネルソン・ロックを掛けられ、椎骨が折れて死に至ったという。
他の多くのスポーツと同様に、ルールは地域や時代によって変化している。また、かつては重要な試合ではその都度細則について協議して調印を経ることが通例であり、少しずつ異なる多くの実際のルールが存在した。しかし多くの場合で共通しているランカシャー・スタイルの特徴は、「掴めるように掴んでよい」という点、そして決着が両肩の二点フォールによることである。一度組んだ手を離したり、組み替え、また脚部を掴むことが許される。腕を顔や首に押し付けるまではよい。反則・禁じ手はやはり時期などによって違いがあるが、一般に首を絞めたり窒息させること、引っ掻きや耳を引張る行為は嫌われた。
19世紀末から20世紀初めの全盛期において、選手がタップアウト(降参して棄権)することはあったが、サブミッション・フォールと呼べるもの、つまり相手を降参させることを目的として関節技や絞め技を掛けることがルールとして認められたことがあったかどうかという点は明確ではないようだ。