Repubblica di Venezia 現在のイタリアのヴェネツィアを本拠とした共和国。正式名称は最も高貴なる共和国ヴェネツィア(Serenìsima Repùblica de Venessia)。697年から1797年まで続いた地中海貿易を中心とする海洋国家だったがフランスのナポレオン・ボナパルトの軍に降伏して消滅した。
葛藤→煮詰まる→・・・ 先日のBSフジプライムニュースで、先崎彰容先生の憂は深かったなあ。 「民主主義が煮詰まって」みたいな表現はされたけれど、それ以上の表現はされなかった。 確か、4年前のアメリカの大統領選挙の時もトランプ旋風が吹き荒れて、この時、早稲田大学の中林美恵子先生は 「民主主義の葛藤」という言葉を使われた。 中林先生は、今はどういう言葉をお使いになるのだろうか。 昔々(紀元前5世紀頃の話だが)ギリシャ・アテネの民主政が煮詰まって衰退していく過程を、衆愚政治と、プラトンやアリストテレスは言ったそうだ。 「衆愚政治」とか「デマゴーグ」という言葉は、揶揄して用いられる言葉として、高校の教…
2021年8月、一つの記事が話題になった。『新聞記者』や『i-新聞記者ドキュメント-』といった作品でお馴染みの河村光庸氏が、自身がプロデューサーとしてかかわった映画『パンケーキを毒見する』についてインタビューに応えた記事である。 www.banger.jp ただ、話題になったのはこの記事の内容の素晴らしさではなく、的外れな内容のほうであった。もっと言えば、『新聞記者』にしても、『i-新聞記者ドキュメント-』にしても、一部界隈の人にとっては話題の作品であったとは言え、多くの人にとっては快く受け入れることなどできない作品であった。 その河村氏が、作品の出来はともかく、他の作品について非難しているこ…
ビザンツ帝国、またの名を東ローマ帝国と呼ぶその国は、かつて地中海世界の全てを支配していた人類最高の帝国、ローマの残滓とも言える存在であった。 4世紀のゲルマン民族の大移動により混乱に陥ったローマ帝国は、その100年後にローマを中心とした西ローマ帝国が滅亡。コンスタンティノープルを中心とした東ローマ帝国はその後も長く生き存える続けるものの、ユスティニアヌス大帝の時代のわずかな領土回復の瞬間を除けば、殆どが異教徒と異民族たちによる侵攻、そして繰り返される内乱による領土の縮小と衰退の一途を辿り続けていた。 言わば、ビザンツ帝国とは、敗北し続けるだけの鈍重な巨象であった。 しかし、この運命に抗う姿勢を…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本民族には数万年の歴史があり、日本天皇には数千年の歴史がある。 現天皇家の正統性の根拠は、数万年前からの民族神話物語(最高神は女性神)である。 皇室とは、神話宗教で閉ざされた王家である。 ・ ・ ・ 開かれた王家とは、国民の総意で、自国の貴種だけではなく他国の貴種でも優秀な人・徳のある人であれば自国の国王に即位させるという事である。 つまり、「フランス人やドイツ人がイギリス国王に即位する」或いは「ギリシャ人やドイツ人の男性がイギリス女王と結婚し、その王子をイギリス国王に即位させる…
19日、SOMPO美術館(新宿)で開催中の『カナレットとヴェネツィアの輝き』展を鑑賞した。ジョヴァンニ・カナレット(1697年~1768年)は、ヴェドゥータ(風景画)の巨匠と呼ばれる画家で、18世紀ヴェネツィアの華やかな光景をリアルに描いている。日本で初の大規模な展覧会というので、同美術館に行ってみた。 『カナレットとヴェネツィアの輝き』展開催中のSOMPO美術館 18世紀のヴェネツィア共和国は、国家としては盛期を過ぎているのだが、観光都市として有名で、ヨーロッパ、特にイギリスの富裕な旅行者に大人気だった。彼らは、ヴェネツィア訪問の記念に華やかな風景画を求めるようになり、それにこたえるかたちで…
実は昨日の朝、食洗器に洗剤を入れる時に、腰がピキーンときましてね。そして昨夜父親も自分も飲み会で、一度車を自宅に返してから、また繁華街に出るという事をしましてね。なかなかにヤバい。挙動が遅いです。痛いから。時間の経過とともに疲労が解消されれば痛みが引いていくと思うのですがね。座りっぱの生活をしていると、ちょろりと長時間動くとこうなる。のかな。今週末もちょろりと長距離(数キロ)歩くつもりなので、なるべく痛みが軽減して欲しいなぁ。 んで、まったく関係ない読み終わったもの。 十字軍国家 (筑摩選書) 作者:櫻井康人 筑摩書房 Amazon 昨日返却してしまったので、内容を振り返りながら読む事ができな…
未知の世界をヨーロッパに伝えた冒険家 Wikipediaより 皆さん、こんにちは! 今回はマルコ・ポーロに関する雑学をご紹介します! マルコ・ポーロ(1254年 - 1324年)は、中世ヨーロッパを代表する探検家であり、商人でもあります。 彼の旅は、当時のヨーロッパ人に未知の東方世界を紹介するきっかけとなりました。 そんなマルコポーロの生涯と業績、さらに興味深い雑学を見ていきましょう。 マルコ・ポーロの生涯 幼少期 マルコ・ポーロは1254年にヴェネツィア共和国(現在のイタリア)で生まれました。 父ニコロ・ポーロと叔父マフェオ・ポーロは著名な商人で、マルコが幼い頃から東方への貿易に従事していま…
2年前に調べた情報が、最近のセッションで再び出てきたので、ブログに。 ---- 2022/4/7のメール 話は変わるのですが、月闇さん、マッドフラッド、フラットアースってご存知ですか?大体この2つがセットなんですが。月闇さんのセッション後に突然知った概念なんですけど。今まで全く知らなかった。この方のがわかりやすい 神話の大洪水は、200年前のマッドフラッド=泥の洪水のことだった|澄川めぐ 宇宙全史とかと違うことになってしまうけど、どっちも嘘という感じはしないので、視点の違いなのかなーと両方受け入れています。 ---- (お返事) 私は宇宙全史に依っていまして、その中にマッドフラッドに関する情報…
此の辺りはイタリアで最も長い川、ポー川の河口に辺ります。 此のポー川から長い年月をかけて砂が流れ出て、この湿地帯が出来ました。 一見すると細長く延びる水路が造られたように見えますが、実はこれ自然が創り出した実景なんだそうです。この辺りは国立の自然公園に指定されています。 1,000種類以上の植物と300種類以上の動物が生息しています。 湿地帯に浮かぶ島に街があります。「キオッジャ」です。ここは運河で作られた島々を橋で繋いで出来ている街です。造りはヴェネツィアと同じようなものですが、観光客で賑わうヴェネツィアとは違って対象的な街並みで素朴な雰囲気が漂っています。 キオッジャはアドリア海屈指の漁師…
さて、今回も2024年10月末に再々訪したクレタ島旅行のお話になります。 今回は、その中からクレタ島観光でも大人気?らしいスピナロンガ島観光に関してお知らせしていきます。 人気度は、クレタ島観光地で2位、ギリシャ全体でも6位と言われる大人気観光地ですので、是非ご覧いただければと思います。 スピナロンガ島について ヴェネツィア共和国時代(1210-1715) オスマン帝国時代(1715-1903) ハンセン病療養所時代(1904-1957) その後と観光化 スピナロンガ島へのアクセス スピナロンガ島の観光 島の南側から北側に向け西側斜面を進む 最上部の南北に延びるテラスから最高の眺めを楽しむ 西…
海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年 1 (新潮文庫) 著者 : 塩野七生 新潮社 発売日 : 2009-05-28 ブクログでレビューを見る» ほとんど知らなかったヴェネツィアの歴史。何故、何もなかった葦で覆われているだけの潟に、街ができたのか?それはどのように造られたのか?葦だけの湿地に、というのは、江戸を思い出すところですね。そういえば江戸は、どのようにして造られたのでしょう?ともかく、ヴェネツィアの方が、江戸よりもより湿地であったようにみえます。杭を打って海の水と陸地の境を作る、そんなところから、描かれています。ヴェネツィアが、国として成り立っていくために、元首ピエトロ・オルセオロ…
今年の5月下旬に従兄弟が持ってきてくれた瓢箪。 ついにこの時がやって来ました。 瓢箪の収穫です。 葉や茎は全て枯れてしまい、栄養も行くわけがないので収穫しました。 参考書には瓢箪自体が茶色になってから収穫すると書いてありますが、これから雨にあたって腐ってしまうと嫌なので、強制的な収穫になります。 中には、ブヨブヨになってしまった物もありますが、このまま車庫の風通しの良い場所で乾燥させてから、次の瓢箪への穴あけ作業に入る予定です。 時間を見て瓢箪の棚も撤去です。 瓢箪初挑戦にしては、ちゃんと瓢箪も収穫することができたので、結果オーライということにしておきます。 今日の雑学! 世界では、過去に笑い…
アルプスの氷河に依って造られたマッジョーレ湖の上空を飛んでいます。 静かな水面と穏やかな風景が広がっています。 鳥になって水面ギリギリを飛びます。 マッジョーレ湖の湖畔の風景です。 湖に浮かぶ小さな遺跡を見つけました。カンネロ城と呼ばれる中世の城塞跡です。この地域一帯を治めていた公爵が16世紀に建てた ものです。 アルプスを越えて侵攻してきたスイスの軍勢に対しての城塞だったそうです。 廃墟となった城で鳥達が羽根を休めています。 自然と共に人が歩んできた歴史、湖の風景がそれを教えてくれています。 ヨーロッパ空中散歩、イタリア北東部にやってきました。見渡す限りに大きな街が広がっています。 此処は人…
最近はルネサンス音楽やバロック音楽を聴くようにはなったが、ルネサンス末期と初期バロックあたりの細かい区別がどうなっているのかは未だによく分かっていない。他の時代区分にも言えることかもしれないが、二つの時代を生きた作曲家はどうやって区分されるのだろう。こうやって感想を書く中でちゃんと勉強していかないといけない。 そんなことを思いながら、今回はラッソ、シュッツ、ヘッセン=カッセル、G.ガブリエリなど後期ルネサンスからバロックあたりの作曲家の作品を聴いている。HMVのページの商品紹介が詳しいのだが、このアルバムは16〜17世紀にかけて音楽活動が栄えていたカッセル宮廷やヴェネツィア共和国の文化都市ヴェ…
スペイン帝国がその権威と権勢を失うことなく存続し続けている世界。 千年の歴史を誇るヴェネツィア共和国もまた、史実におけるナポレオン戦争での消滅という運命を回避し、19世紀後半においてもなお、その命脈を保っていた。 それでも、すでに国際貿易における存在感を失い、その衰退は誰の目にも明らか。早急な改革が求められる中、就任した若き元首ドージェニコラ・ベルティは貿易の活性化と産業の奨励によって、次なる元首ドージェピエトロ・ファルクィ・ペスはフランスの関税同盟内にて武力による領域拡大を推し進め、その権威の回復に努めていった。 しかしフランスの対外戦争による海洋交易路への悪影響はヴェネツィア経済の崩壊に繋…