一条房冬の子、権中納言、土佐国司。正室は大友義鑑の娘。 天文18年(1549年)父の死により家督を継ぐ。 天正2年(1574年)家臣により豊後へ追放される。この際洗礼を受ける。 天正3年(1575年)大友氏の援助を得て旧領回復を図るが、渡川の戦いで長宗我部に惨敗する。 天正13年(1585年)、伊予宇和島の戸島にて、病死または暗殺されたと言われる。 なお、内政(1561年〜1580年)は宇都宮豊綱の娘との子。