宮家の一つ
大正天皇の第四王子崇仁親王により創設。
大正4年12月2日生まれ
昭和16年10月22日 子爵高木正得氏の次女百合子様と結婚。
陸軍士官学校・陸軍大学校を経て、南京に参謀として派遣された。
戦後,東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻。
昭和29年に創設された(社)日本オリエント学会に参加。
昭和50年 (財)中近東文化センターの総裁。
東京女子大学や青山学院大学、東京芸術大学美術学部などで教壇に立つ。
公式訪問,学術的国際会議への参加および史跡調査のための外国訪問は約30回を数える。
日本レクリエーション協会名誉総裁 日本ワックスマン財団誉総裁 日本スリランカ協会名誉総裁 日本・トルコ協会名誉総裁 出版文化国際交流会名誉会長 日本赤十字社名誉副総裁等を務める。
2016年10月27日、聖路加国際病院で薨去、100歳没。
昭和21年1月5日 三笠宮崇仁親王の第一王子として生まれる
昭和43年学習院大学法学部政治学科卒業後、イギリスのオックスフォード大学モードリンコレッジに留学。
昭和55年11月7日麻生太賀吉の三女信子と結婚。
障害者スポーツに関する公務に積極的に取り組む。
友愛十字会、ありのまま舎、済生会、新技術開発財団、高松宮妃癌研究基金、日本ビリヤード協会、日本職業スキー教師協会、日本学生氷上競技連盟などの総裁、日本ラグビーフットボール協会、日英協会、日本ノルウェー協会などの名誉総裁を歴任。
通称「髭の殿下」
2012年6月6日、多臓器不全のため薨去、66歳没。