昭和40年代の国鉄の過密ダイヤと国鉄労使交渉の難航による度重なる列車の遅延にブチ切れたサラリーマンのおとーちゃんたちが、昭和48年3月13日、高崎線上尾駅で遂に起こした暴動劇。
- 参加者は推定10,000人。
- 運転席の窓ガラスに石を投げて割りまくる、ヘッドライトや車内のイスを壊す、新聞紙に火をつける。命の危険を感じた運転手は民家へ避難。
- 乗客の一部は駅事務室へなだれ込み、駅長や駅員に対して、「駅長出て来い!」と詰め寄り、ロッカーを手当たり次第に倒すは消火器をぶちまけ、書類を室内に放り投げるは。蹴られまくった駅長は頭や顔に全治5日間のけが。
- さらにおとーちゃんたちは切符自動販売機や信号機などを壊し、現金20万円を奪う。
- 駅300メートル手前でストップしていた特急「とき」に対しても石を投げて運転席の窓ガラスを割る。
- 埼玉県警は機動隊員550人を出動させるも、あまりの乗客の多さとすさまじさに手が付けられず、乗客とずーっと睨み合い。
- 比較的穏健な乗客達は、約8キロ離れた大宮駅へ向かって線路上を歩き始める。しかし途中の宮原駅で駅の助役の腕をつかみ、大宮駅まで大宮駅にたどり着くと駅構内の列車への投石や助役室を占拠。
- 事件が起こった直後から、近くの桶川、北本、鴻巣や東北線にも波及。同じような事態が発生。
- お昼過ぎになって、おとーちゃんたちやっと落ち着く。結局高崎線は夕方まで10時間20分全線不通。
- これだけの大騒動にもかかわらず、逮捕者は、駅の現金を盗んだこそ泥4人、公務執行妨害1人、駅前での朝日新聞記者への暴行2人だけ。