4328号 さて。引き続き、練塀町のこと。秋葉原駅の北東にある、今、神田練塀町と呼ばれる町のこと。 現代の地図 江戸 昨日は、講談や芝居になった、河内山宗春(俊)が住んでいたという、下谷練塀小路と書いていた。 ところが、今は神田練塀町といっている。これ、どういうことなのか。 明治以降の区境の変更という問題である。 江戸期にはむろん区などというものはなく江戸府、江戸町奉行が支配する区域(江戸)は「町」が単位で行政的には区分はなかったといってよいだろう。 下谷だったり、神田だったり、浅草だったり、日本橋、京橋などなど、少し広い地域を指し示す地名はあったが、あくまで慣習的なもので基本、行政単位ではな…