ほどなく、おん輿は、 京極おもての院の棟門《むなもん》につく。 夙《つと》に、お待ちうけらしいたたずまいである。 院司《いんじ》の上奏あって、 すぐ乱声《らんじょう》(雅楽部の合奏)のうちに、 鸞輿は、さらに中門へ進められた。 みかどの父ぎみ、後宇多《ごうだ》法皇は、 まだ五十五、六でおわせられた。 が、御愛人の遊義門院の死に会うて、 御法体《ごほったい》となられてからは、 俄に、老《ふ》けまさッてお見えであった。 が、ひとつには。 二ノ御子《みこ》尊治《たかはる》(後醍醐の御名)の 即位をやっと見給うたこと。 また、院政という歴代にわたる厄介な 二政府式の弊《へい》も廃して、 天皇一令のむか…