町丁目ごとに色分けをする(防災リテラシー研究所) 志都呂の歴史 浜松市の「志都呂」は,浜名湖付近の丘陵の先端部に位置する。これは,「シト(舌状丘陵)オロ(その処)」で,後に転化し,「シトロ」になったのではないかと推測している。また,「下流」も同様に転化しもので,「志都呂」と同義ではないかと指摘している。(菊地達夫「九州地方におけるアイヌ語系地名の残存の可能性」) ↑指摘は清水清次郎 志都呂のあたりを佐鳴湖から流れる湖辺洲川、その両脇の湖辺沼(こべぬま)、旧地名は蛭田・巴水ヵ岡 藤原不比等の嫡孫、藤原静足が806年に蛭田(志都呂)へ定住。 1076年に、白河天皇の皇子、敦文親王と源土守(ひじもり…