▼福井県・敦賀港から与謝野晶子は夫・鉄幹を追って欧州へ 1912(明治45)年、東京・新橋-敦賀港駅間に直行列車「欧亜国際連絡列車」が運航を開始しました。敦賀港から日本海を渡る連絡船でウラジオストックへ、そこからシベリア鉄道で欧州に行くルートです。 この鉄道が開通するや、その年、晶子はパリにいる鉄幹に会うため7人(!)の子供を預けて敦賀港から日本海を渡り、欧州へと旅立ったのでした。 敦賀-ウラジオストック間には連絡線が運航していた 愛してやまない夫を追って、敦賀港から晶子は日本を離れたわけですが、恐らく彼女の心には別の複雑な思いが去来していたのではないでしょうか。 といいますのは、敦賀駅からJ…