神奈川県横浜市瀬谷区 中屋敷 1丁目・2丁目・3丁目 −「神奈川県立瀬谷西高等学校」などがある。
日本の江戸時代にあった江戸藩邸のうち上屋敷の控えとして使用されたものを指す。下屋敷と比較した場合、江戸城までの距離は近く、規模は小さいことが多い。
宝永4年3月24日。役所帰りに勝蔵へ出かけ、酒や食べ物を頂く。そこから山城守中屋敷を見物する。斎藤喜平太の造った仮山(築山)であった。幽谷・湛水・青竜石・猿飛岩などもある。澄心堂の額ならびに序文は万治子年の陳元賛であった。乾(北西)の大榎は今まで3度雷の被害にあっていた。このため昨年賀茂(上賀茂神社)を勧請する。東の山にこれがある。