東海道五十番目の宿場町である水口は、 都から伊勢へ通じる交通の要所にあり、 水口城は、徳川三代将軍家光が上洛するのに伴い 宿館(水口御茶屋)として築城された 築城は幕府直営で行われ、 作事奉行 小堀遠州・京都の大工頭中井家支配の もと10万人の大工が動員された。 城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれたが、 この御殿が将軍の宿舎として使われたのは、 この家光上洛の1回限りで、その後同城は、 幕府の任命した城番が管理する「番城」となった。 加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した 水口城は加藤氏の居城となった。 一時鳥居氏が藩主となったが、 再び加藤氏が2万5千石で藩主となり 歴代水口…