夏至あたりから 「清濁併せ呑む」が テーマらしく そうした記事を読んだり 経験をしたりしました。 正確には 「”表面の状態・現象”だけで 識別せず ただ”それがそうある”と 認識するに”留める”」 「自分のいいところも そうでないところも そして周りにいる人の いいところも そうでないところも ”今のありのままで”受け入れる」 という すっかり見慣れた内容です。 「盗む」のは 法律上も 道徳上も 信仰の上でも 「罪」とされます。 その一場面だけを 切り取れば わたしにとっても そうなのですが ただ一方において 「その行為が ”どこから” 発生し ”どのような” 経緯があって ”今ここ”で 芽吹…