簾の下りた室の中はまさに夜そのものだった。灯台の火が几帳に影を作り、己が以外は何者も存在していないような寂寥がそこに横たわっていた。常に感じている感覚ゆえに腹の内に収まったような馴れさえあるが、それと同時に諦めもあるような物悲しいようなよくわからない感情が渾然一体となっている。この"夜"の中にひとりでいる。ただそれだけで言葉に言い表せぬ気持ちになるのは何故なのだろうか。灯台の火が揺れる。向こうから足音が聴こえた。薄氷の上を、あるいは舞台を歩くように静謐な音だった。御簾越しに現れた影が其処に止まる。「公方様」鈴の音のような凛とした声だった。わずかに潜めたその声が頭蓋に響く。「藤若、参りました」「…