二重被爆

(映画)
にじゅうひばく

2007年公開のドキュメンタリー。

二重被爆とは1945年8月、広島、長崎両市で被爆した事を言う。投下後2週間以内に残留放射能を浴びた入市被爆も該当者となる。現在全国で100名以上の患者がいるとされているが、正式な報告は行われていない。それは、調査が始まった時点が遅かった事、当事者が高齢、もしくは既に亡くなってしまった事等が上げられる。

1945年8月6日広島で被爆した山口彊(つとむ)さんは、当時長崎市の三菱重工業造船部の技師をしており、同年5月から3ヶ月の予定で広島に出張中でした。郷里の長崎には妻と長男を残して、単身赴任をしていました。広島事業所に向かった山口さんは、江波の電停で降りて歩き始めた所で被爆しました。これが1度目の被爆です。応急処置をして、焼け野原と化した広島を後に、山口さんら3人は8月7日昼、広島の西にある己斐駅(現在の西広島駅)から列車で長崎に向かいました。翌日8月9日、山口さんは会社へ広島の報告へ出かけます。その瞬間ピカッと来たのです。山口さんにとって、2度目の被爆となりました。

1945年8月6日広島、8月9日長崎に相次いで原子爆弾が投下された。その被爆者の中に、広島と長崎の両市で被爆した人々がいる。“二重被爆”と呼ばれている方々のことは、長く歴史に埋もれていた。去年8月、「被爆者体験記」の中から、“二重被爆”の実態が明らかになり、報道された。原爆投下後2週間以内に広島・長崎両市に入り、残留放射能を受けた“二重被爆者”は165人、2度の原爆に直接遭遇した被爆者が9人いることが確認された。直線距離にして広島と長崎は約300キロにも関わらす、両市で直接被爆することがあるかも知れないと考えなかった米国の無思慮ぶり何故なのか?それをテーマに記録映画『二重被爆』を製作いたしました。(作品資料より)

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