漫才師。
本名・比田孝三郎。
1907年11月2日、大阪府中河内郡長瀬生まれ。
1927年11月、梅田青龍館に出演中の芝居一座に入座。
1931年、荒川芳丸に入門し荒川芳蔵を名乗ると同時に三遊亭円若に音曲を師事。 翌年、ぼやき漫才の都家文雄に入門、都家文蔵を名乗り、「都家文蔵興業部」を設立し、興行師も兼ねる。
1940年、吉本興業へ入り、高田田鶴子(後の守住田鶴子)とコンビを結成、軍隊慰問などを行う。
1945年3月2日には、陸軍22部隊に入隊。翌年11月11日、復員。
1947年3月、「人生航路」を名乗り、「青春ブラザーズ」を結成。
1954年4月、庭野千草(後の生恵幸子)とコンビを結成。翌年には幸朗に改名、人生幸朗・生恵幸子コンビとなる。
1956年3月より施設の慰問を始め、様々な奉仕活動に貢献。後に感謝状などを受ける。
1974年4月18日、上方漫才大賞奨励賞受賞。賞金を琵琶湖学園に寄付。
1977年12月12日、上方お笑い大賞受賞。翌年11月25日、大阪市市民表彰(文化功労)受彰。
1982年3月4日、死去。享年74歳。