今週のお題「わたし○○部でした」 知念正真作・喜劇「人類館」のアフタートーク 1903年の大阪・第五回勧業博覧会の会場近くで「学術人類館」と称して、なんと人間が展示されたことがありました。アイヌ人、台湾人、インド人、ザンジバル人ら26名の中に沖縄人も2名「展示」されていました。 学術的な催しということで正当性を獲得したとされていますが、生身の人間を引っ張りだして、動物園のように「展示」する感覚に驚きます。 琉球新報の太田朝敷はこれに怒り、「琉球人をアイヌ人や台湾人と同一視するな」といって、差別された者がまた差別するという構図をさらけ出しました。 沖縄の人々が本土へ出稼ぎが本格化した1920年代…