野球における選手兼任監督の采配の1つで、自分自身を代打に指名する行為を指す。
1956年6月24日、藤村富美男が「代打、わし」と審判員に告げて三塁コーチャーズボックスから打席に向かい、長谷川良平からサヨナラ満塁本塁打を放った。
28年ぶりの選手兼任監督・古田敦也がこの秘策を繰り出すのを、ファンが首を長くして待ちわびていた中、2006年7月4日の対広島7回戦(倉敷)8回表、兼任監督就任後初めて「代打俺」を告げファンを大いに沸かせた。このときは惜しくも左飛に倒れたが、翌7月5日にも代打俺として打席に立ち、連打の口火を切る二塁打を放った。
2013年2月、甲子園常連校として知られたPL学園が部内暴力の処分で夏の大阪大会には出られず監督も不在となり、正井校長が監督に。2014年、野球未経験の校長監督に代わり、宇佐美秀真選手がベンチでサインを出し続け、激戦区大阪を勝ち上がり5年ぶりに決勝へ。 9点差をつけられた9回満塁で「代打俺」、内野ゴロで1点を返した。
水島新司「野球狂の詩」最初期のエピソード「あて馬」(コミックス第1巻収録)において、監督代行に指名された「あて馬」の島小太郎(二塁手 右投右打 背番号3)が最終回に自分自身を代打で指名し、サヨナラ安打を放っている。なお島選手はその後クリーンアップを任されている記述がある(参考 → 東京メッツ - Wikipedia)