延暦2年(783年)? 〜大同2年11月12日(807年12月14日) 日本の平安時代初期の皇族。桓武天皇の皇子。 藤原仲成に操られた藤原宗成に失脚させられたと言われている。その後、謀反の疑いがかけられ自害したが、死後に親王の無実が判明し、承和6年(839年)に一品が追贈された。