佐川官兵衛(さがわ・かんべえ、1831〜1877)
幕末維新期の会津藩士。
1862年藩主松平容保が京都守護職に就任するとそれに伴って上洛し,ほどなく物頭,京都学校奉行と累進した。鳥羽・伏見の戦いでは藩士の子弟から組織された別選組などを率いて奮戦,勇名を馳せた。帰郷後は軍事奉行頭取,家老として官軍への徹底抗戦を唱え,敗戦後,東京での禁固生活を余儀なくされた。のち赦免され会津若松で閑居生活を送っていたが,1874年征韓を巡っての論争が起こると,政府の要請を受けて子弟300名余を率いて上京し1等大警部となったが,同10年西南戦争に従軍して壮絶な戦死を遂げた。