日本の江戸時代中期の旗本。
天明4年(1784年)3月24日に江戸城中で、田沼意次の子で若年寄の田沼意知を切りつけ、その8日後に意知が死亡。佐野家は改易の上、佐野政言は切腹の処分を受け自害した。しかし、世間からあまり人気のなかった田沼を斬ったということで、世人からは「世直し大明神」として崇められた。
佐野政言が田沼意知を切りつけた理由は意知とその父意次が先祖粉飾のために佐野家の系図を借り返さなかった事や上野国の佐野家の領地にある佐野大明神を意知の家来が横領して田沼大明神にした事、田沼家に賄賂を送ったが一向に昇進出来なかった事など諸説ある。