「フェミニズム・男性学に対して中立」の記事の中でも触れたが、筆者の中には、ラディカルな実験的なアイデアはあっても、基本的には概して「中道」、それも「保守中道」寄りに当たると自己規定している。 「変える必要がある、変えなければ」という認識や危機感があっても、「いま、この地点から」変える・変わるよりない、という現状認識が常に出発点になるからだ。 それについては、機会を改めて詳しく書きたい。 しかし、このいわば「中道」路線というのは、望んで、あるいは目指してそうなったのではない。 「不可避的にその立場を選ばされた」、いわば「消極的選択」の結果と言わざるを得ないともいえる。 なぜか。 「保守寄り、リベ…