俳人に「人を育てる」タイプと「人と張り合う」タイプがいる。どちらも一長一短だが、初学の頃は後者、俳句歴を重ねるに連れて前者に変化するのがいい。「人を育てる」には教える技術と責任が伴うので注意が必要だ。俳句歴の長い人が「人と張り合う」タイプだと、周りに迷惑をかけるので気をつけよう。
俳句は投句・発表して評価されるが、作り手としては俳句を作る過程が重要だ。気分しだいで思いつくまま作る人は別として、たいていの人は毎日コツコツ地道に作り続ける。作品を生み出す仕組みやシステムを、自分なりに構築する必要がある。良い俳句ができなくてもダメな俳句を作るのは避けたいものだ。
全員に評価されることはありえない。互選句会の高得点句でも、選句しない人の方が多いのだ。褒められて伸びる人は評価されたことを、逆境に闘志を燃やす人は評価されなかったことを意識すべきだ。自分がどちらなのか把握しよう。褒められて伸びる人が評価されないことを気にすると、悲惨なことになる。
俳人は基本的には現状維持で、人からのアドバイスに耳を貸さない人が多い。人の意見を聞くのは自分の考えと合致する時だけだ。自分の考えを否定するようなアドバイスを受け入れるには、ある程度の覚悟と訓練が必要だ。ただ、誰の意見を聞くのかという問題は残る。誰の意見も聞かないという選択もある。
俳人にもいろいろなタイプがある。寡作でほとんど推敲しない、投句に必要な数を作って何度も推敲する、多作して良い句を自選して推敲はしない、多作して何度も推敲する等。良い悪いではなく、自分がどのタイプなのか知っておく必要がある。勉強法が違ってくるからだ。無駄な努力は極力避けたいものだ。
俳句は十七音で、十七音以上の感動や気持ちを伝え表現する。そのために意味よりも表現内容に合ったリズムなのかを先ず考える。外国語の音楽や歌のないクラッシックに感動するのと同じ理屈だ。どうすれば表現に合ったリズムになるのか先生たちに聞くと、答えは一様に「舌頭に千転」するしかないだった。
若手や夭折の俳人に注目が集まりがちだが、俳句は長期戦だ、この先何十年も続けていかなければならない。そのために、ひとつの句風を守り続けるのいいし、年齢と共に句風を変えていくのもいいだろう。自分が楽しみ、読み手が楽めるのなら、人の評価など気にせず、何があろうと自分のやり方を貫こう。
語彙は多い方がいい。絵画で絵の具が1色しかないよりも12色あった方がいいのと同じだ。だが、その語彙の中から的確な言葉を選び出すのが難しい。しかも感性によるところが大きく、努力で補うには限界がある。歳とともに感性が衰えるという事実を受け入れつつ、独自の句風を模索し続けることになる。
俳句を作っていて調子がよく、句会でも成績がよく、このままいけると思っていると、突然俳句が浮かばなくなり、自分の俳句の良し悪しもわからなくなって迷走する。こんなことを定期的に繰り返す。初心に帰れということなのだろう。過去の自分の俳句を読み返して身の程を知り、謙虚に取り組むしかない。
理想とする俳句はあった方がよく、ちょっと高い方がいい。理想が無ければ目標を設定できず、目標が無ければ考えることも行動もできない。理想が自分の限界となる。理想の俳句を持つためには、自分の俳句を冷静に評価することが必要だ。まずは、自分の俳句を好きになることからはじめよう。