東大寺を造営した聖武天皇の治世は安定した時代ではなかった。長屋王の変、天然痘の流行、藤原広嗣の反乱があった。聖武天皇は不安定な状況を仏法によって救おうとした。国分寺、国分尼寺の建立を発願、そして「廬舎那大仏造立の詔」を発した。 天皇の力で大仏を造ることはできるが、それでは大仏に心がこもらないということで、民衆に「一枝の草、一把の土」の提供でもいいという協力を求めた。これは今までの官立寺院とは異なっている。この考え方は、のちの復興や修復のときの前例となった。この精神は「明治神宮」造営時にも引き継がれている。 廬舎那仏とは「華厳経」の教主(本尊」で、それは無限に大きな仏である。世界界に存在するもの…