岡山後楽園 倉敷と吉備の古墳を見た後、岡山市の後楽園を訪ねる。岡山後楽園は、岡山藩主・池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687)に着工、元禄13年(1700)には一応の完成をみた。その後も藩主の好みで手が加えられたが、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきた。 岡山後楽園 名称は岡山城の後ろに作られた園と言う意味で後園と呼ばれていたが、「先憂後楽」の精神に基づいて造られたと考えられることから、明治4年(1871)後楽園と改められた。江戸時代の絵図や池田家の記録、文物が数多く残され、歴史的な変遷を知ることができる、江戸時代を代表する地方では稀な大名庭園であり、「特別名…