天文14年(1545年)〜慶長17年10月22日(1612年11月14日) 日本の武将。大名。六角氏の当主。六角義弼と呼ばれることもある。父は六角義賢。 南近江の戦国大名だったが、観音寺騒動で家臣団から追われるなどして没落。その後も石部城を拠点に、足利将軍家、上杉氏、武田氏らを動員した織田信長包囲網の構築を御膳立てするなど再興のために戦ったが願いは叶わなかった。晩年は豊臣秀吉の御伽衆として足利義昭や斯波義銀らとともに仕えたとされ、秀吉の死後は豊臣秀頼の弓矢の師範を務めた。