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具平親王

(読書)
ともひらしんのう

平安時代中期の歌人・文人。後中書王・六条宮・千種殿などと呼ばれる。
応和四(964)年生、寛弘六(1009)年没。
村上天皇の第七皇子。母は代明親王の娘荘子女王。子の源師房*1が寛仁四(1020)年に元服して源姓を賜ったので、村上源氏の祖となる。
貞元二(977)年に元服して三品に叙され、兵部卿・中務卿を歴任。とくに中務卿として知られ、また詩文に秀でていたため、同様に中務卿であり詩文に秀でていた醍醐天皇皇子兼明親王と区別するために「後」をつけて「後中書王」と呼ばれる*2。寛弘四(1007)年二品。
詩文・和歌に秀いで、詩文は慶滋保胤に師事し『本朝麗藻』『和漢朗詠集』『本朝文粋』などに残り、また和歌にも造詣が深く、藤原公任との間で柿本人麻呂と紀貫之の優劣を巡って論争を展開し、これがきっかけとなって『三十六人撰』が編纂された。そのほか、管絃・書道・陰陽道・医術などの諸芸にも秀いでていたという。
家集は『六条集』。『拾遺和歌集』以下の勅撰集に十一首入集。

*1:初名は資定。

*2:中書は中務省や中務卿の唐名

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