ここ最近、『週刊文春』や『東洋経済』で、思想家・内田樹が“珍説”を述べている。思想家・内田の“珍説”は、「思想家の痴呆化、思想の死相」と呼べるレベルのものである。神戸女学院(内田の元職場)の女子大生に頼まれて採点をかなり甘くしても、「おのれの著作を売るためなら、コロナ禍をも利用する高等駄弁」にすぎないのである。 内田への「批判」は、わたしの「内心の衝動」などというものの所産では決してない。正直、わたしは、宅配のバイトで忙しくて疲れている。 ただ、内田をまねて言えば、学者たちもサル化していて、大学教員という地位を守るためだけではなく、知名度や印税を得るために汲々として、お互いの著作を仲間ぼめする…