棺の中を見つめた。なき人は胸に聖像をのせ、頭に八脚十字架のついた頭巾をかぶり、全身をことごとく蔽われたまま、じっと横たわっている。たった今この人の声を聞いたばかりで、その声はまだ耳に響いている。彼はまたじっと耳をすましながら、なおも声の響きを待ちもうけた……が、とつぜん身をひるがえして、庵室の外へ出た。 彼は正面の階段の上にも立ちどまらず、足ばやに庭へおりて行った。感激に充ちた彼の心が、自由と空間と広濶を求めたのである。静かに輝く星くずに充ちた穹窿が、一目に見つくすことのできぬほど広々と頭上に蔽いかぶさっている。まだはっきりしない銀河が、天心から地平へかけて二すじに分れている。不動といってもい…
ごとくこの理想一つを目ざして突進しないわけにゆかなかった。それゆえ、ときどきその他の一切を忘れてしまうことさえあった(後に自分で気がついたことであるが、彼は前日あれほどまで心配した兄ドミートリイのことを、この苦しい一日の間すっかり忘れていた。それから、もう一つ、昨日あれほど熱心に意気込んでいた、イリューシャの父に二百ルーブリ届けるという計画も、同様に少しも思い出さなかった)。しかし、彼に必要なのは、繰り返して言うが、奇蹟ではなく『最高の正義』であった。ところが、この正義は無慚にも破られた、と彼は思いこんだ。これがために、彼の心はふいにむごたらしく傷つけられたのである。この『正義』が、アリョーシ…