明治に活躍した落語家(1858-1923)。
本名ヘンリー・ブラック(Henry James Black)。英領オーストラリア生まれ。両親につれられて来日後、軍記物の講談を語る軍談の講釈師から落語へと移り、三遊派に参加。英語塾講師をしながら高座に上った。1891 年に快楽亭ブラックと称し、日本に帰化。異色のタレントとして日本各地で名声を博す。落語以外にも歌舞伎、手品、催眠術など多芸。1903-1904年、落語や浪曲をレコードに吹き込み、これが日本最初のレコードとなる。
ヘンリーの父、John Reddie Blackは慶応3年に日刊紙「ジャパン・ガゼット」、明治5年に日本語新聞「日新真事誌」を創刊したイギリス人ジャーナリストとして有名。横浜外人墓地に、長男ヘンリーとともに眠る。
オーストラリア大使館広報部 広報日本語資料
「庶民の文化に貢献 オーストラリア生まれ異色の落語家」(PDFファイル)
http://www.australia.or.jp/gaiyou/japanese_resources/pdf/10_kairakutei.pdf