若者は写真を撮りまくる。まるで自分の存在を確かめるかのように。薄れゆく自分の輪郭を取り戻すかのように。ただの自己満足だという人もいる。承認欲求の現れだという人もいる。ちょっと変わった見方だが、もし意識を持ったエネルギー生命体がニュートラルに人間の若者を観察したら、スマホが本体で人間が道具と見るかもしれない。美味しそうな食べ物を前に写真を撮りまくるのは、まずはスマホが堪能し、人間がお預けを食らっている状態である。リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子に通じる考えである。もしくは、スマホが本体ではなくて、クラウドが本体とも言える。クラウドの命令によりスマホが実行部隊となり人間という道具を使って情報を…