母の四十九日で菩提寺に行くと境内の桜が満開となっていた。気がつけば3月もあとわずかだ。私が創価時代は「3・16」は年間通しても青年部として意義のある日だったがいまはそこまで「3・16」は大きく語られない。戒壇大御本尊を捨て大石寺に足を向けない創価民にとって実現不可能な絵に描いた餅となった戸田会長の「広宣流布の模擬試験」は今後も多くは語り継がれることはないだろう。しかしその前後の「エレベーター相承」と「戸田会長の遺言」という池田大作の捏造話はもうしばらくは創価内では語られるであろう。「追撃の手を緩めるな!」という池田以外は誰も聞いていない戸田会長の遺言は昭和33年3月29日。戸田会長逝去の4日前…