・弘治3年(1557) 10.28 方仁親王が践祚した(正親町天皇) 。(『お湯殿上日記』) ・永禄4年(1561) 9.10 武田(源)晴信と上杉(藤原)政虎が合戦に及んだ。武田方では晴信の弟,信繁が討死した。(『歴代古案』「安田文書」「武州文書」) ※甲斐国の年代記『常在寺衆中年代記(勝山記/妙法寺記)』は、この合戦を最後に記録している。村や寺が自分たちの歴史を書き残そうとする意志による産物だと考えられる。飢饉・災害・戦乱といった記録が多く、苦難を通して地域のアイデンティティが創出された時代であったとも捉えられる(東島誠 與那覇潤『日本の起源』)。 ・永禄7年(1564) 3.13 近衛(…