1 出自と人となり 薩摩藩尊王攘夷派の志士有馬新七(正義・括弧内は原注とない限り筆者注記、以下同様)の「都日記」の中に、「此は秋の半過(安政5年)八月廿九日の夜になむありける。竊に日下部氏が(中略)家に至りて宿り、水戸の殿人鮎澤伊太夫、征夷府の家人勝野豊作等の人々も集来て、夜もすがら酒飲みかはし、天下の形勢を深切に物語りしつ、寅の刻比宿を立出でぬ。都に疾く行かまほしく云々」、という一節がある。 ここに名のある日下部氏とは、薩摩藩士日下部伊三治(信政)である。日下部の父連(訥斎)は、もと海江田と称した薩摩藩士で、故あって脱藩して諸国を遊歴の後に水戸領内に住し、郷校益習館の館守を勤めた。伊三冶はこ…