パウロはキリスト者とはキリストに結び合わされた存在、キリストとひとつにされた存在であると書きます。それは彼の信仰から出た言葉でした。キリストを宣べ伝える宣教の働きにおいて、キリストと同じ死と隣り合わせの苦難を味わい、キリストを復活させた神の力による救いを体験しました。彼は宣教において彼なりに自分の身においてキリストの死と復活とひとつにされる体験したのです。 さらに内的な体験として、キリストに結び合わされ、罪を犯す自分が死に、神の子として新しい命に歩み、罪を克服して生きる者となりました。霊的な体験としてもキリストの死と復活とひとつにされました。そのような自分を顧みるとき、彼は告白します。 ガラテ…