それは、天に二つの太陽が在るが如しであった。 一方の太陽は長宗我部元親。20代の頃より家督を継承し、土佐一国のみならず瞬く間に四国全土を統一した、恐るべき「四国の狗鷲」。 もう一方の太陽は織田信長。こちらも20代の頃より尾張一国から美濃・伊勢・そして京の足利将軍をも支配下に収め、ついにはこれを追放。唯一無二の天下人となった傑物であった。 天そらに二つの太陽は赦ゆるされない。 故に、その衝突は必然のものであった。 一度目は元亀三年(1575年)。 摂津平定を目指した信長が長宗我部に斬りかかり、返り討ちにされた。 二度目は天正二年(1582年)。 足利将軍を追放し、元親主導の「信長包囲網」が形成さ…