米軍の艦砲射撃が始まった1945年(昭和20年)3月下旬から、本島南部への撤退命令が出された5月下旬まで使われた沖縄陸軍病院南風原壕。この壕は、黄金森と現在の南風原町役場近くの丘に掘られた人工壕の野戦病院でした。 (黄金の森にある南風原陸軍病院壕址の碑)南風原町の中心部にある黄金森の中に「南風原陸軍病院壕址の碑」が建立されています。 ここ一帯には、戦争中に多数の人工壕が作られ、日本陸軍隷下の第32軍直轄部隊である「沖縄陸軍病院」が、野戦病院として使用していました。この中では軍医・衛生兵・看護婦の他、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立高等女学校の生徒で構成された「ひめゆり部隊」が活動していました。(…