終戦後20年の昭和40年頃。このころは広島もようやく復興を果たし、平和公園にも観光客が訪れるなど、おだやかな空気が漂っていました。 しかし、平和公園の向こうに、高層ビルなどはまだ見られない時代で、原爆病院に、原爆症で苦しむ人の数は多かったのです。 原爆の子の塔 原爆の子の塔は、原爆症のため折り鶴を折り続けながら病没された佐々木禎子さんをモデルにしているといわれます。 塔の制作者 東京芸術大学教授 菊池一雄氏 千羽鶴 今はどうなっているか分かりませんが、千羽鶴は、最初は塔の内部に下げられていたんですね。…こんな風に。 後年には、近くのガラスケースか何かに納められていたような気もします。ブースとい…