片岡義男の名を最初に目にしたのは雑誌「宝島」だったと思う。おそらく一九七〇年代の初期だ。植草甚一あたりの周辺にいたコラムニストという認識だった。そのうち雑誌「ポパイ」にもコラムを書き出したり、角川文庫からオートバイ、サーフィンなどの当時の若者の流行・風俗の先端を行くようなイメージを持っていた。FMラジオでも「きまぐれ飛行船」という番組のパーソナリティとして彼の声を耳にしたが、落ち着いた口調でアメリカの音楽についてしゃべり、それもまた彼の「カッコイイ」イメージを増幅するのに寄与していたように思う。 当時あまりにも風俗の先端にいるようなイメージを抱いていたため、少なくとも自分にとっては表立って読む…