平成18年(2006年)8月15日、山形県鶴岡市にある自民党の加藤紘一氏の実家が放火された。この事件には、社会全体の右傾化の波を直接被って、右翼民族派の存在そのものが後景へと追いやられることへの無意識のうちの反発という側面があったのではないかと私は考える。事件に際してマスコミや知識人は、「言論に対しては言論で」という反暴力の論理を唱えたが、こうした論理が果たして有効性を持つのか私には疑問だ。腫れ物に触らないようにして、その"凶暴性"を批判し、「言論には言論で」と言ったところで、犬の遠吠えに過ぎない。彼らの懐に飛び込んで、右翼の言い分を聞いてみた。 右翼の言い分 作者:宮崎 学 アスコム Ama…