吉田郡山城の戦い(よしだこおりやまじょうのたたかい)
1540年、安芸国吉田周辺で行われた毛利元就と尼子晴久との間の合戦。尼子晴久は離反した毛利氏を討つべく、三万の大軍を率いて石見路を通り進攻、吉田郡山城に迫り、城下を焼き討ちした。元就は三千の小勢で籠城戦で対抗、さらに大内義隆の援軍もあり、尼子軍を撤退させた。その後毛利氏は、この城を本拠として中国、北九州にまで勢力を伸ばしていった。