名前の哲学144頁「神がみずからの名前を持つのはわれわれのためであり、われわれが神の名前を呼べるようにするため」(ローゼンツヴァイク2011.107頁) 最近、気づかされていることは、「名前「の軽視だ。特に学問の領域では「名前」は厄介者に見えてくる。固有の「名前」を用いることにかなり慎重である。それが客観的な学問ということであろう。しかし、ローゼンツヴァイクを読んでいると、そんな傾向に対して、違う、違う、と思ってくる。ましてや「名前」を超えて「呼称」こそが大事だ、なんていう考えを客観的な学問領域に入れるわけにはいかない。しかしわかっていても寂しい風が吹き抜ける。 イエスさまの弟子たちが、イエス…