岩波文庫163ページ「いま凡夫の活計(かっけ)する有念無念、有覚無覚、始覚本覚等、ひとへに凡夫の活計なり、仏々相承(そうじょう)せるところにあらず。凡夫の有念と仏の有念と、はるかにことなり、比擬することなかれ。凡夫の本覚と活計すると、諸仏の本覚と証せると、天地懸隔(てんちけんきゃく)なり、比論の所及(しょぎゅう)にあらず。十聖三賢の活計、なほ諸仏の道(どう)におよばず。いたづらなる算沙(さんじゃ)の凡夫、いかでかはかることあらん。しかあるを、わづかに凡夫外道の本末の邪見を活計して、諸仏の境界(きょうがい)とおもへるやからおほし。諸仏いはく、此輩罪根深重なり、可憐愍者なり。」 仏道修行をしていな…