沖縄に米軍が上陸し、日本軍が南部へと移動するなか、戦火を避けていた住民が兵士によりガマなどから追いだされるなどして戦場に放り出された。結果、住民の4人に1人が犠牲になる惨状を呈した。 遺骨は地域ごとに祀られた(報道特集17日OAより) それらの犠牲者は地区ごとに祀られ、遺骨は骨塚、納骨堂に納められた。ところが、日本政府や琉球政府は遺骨を一カ所に集約すると言い出した。反対する村々もあるなか、遺骨はいつのまにか運び出され、最終的に摩文仁の丘に作られた「国立戦没者墓苑」に納められた。住民の遺骨は兵士の戦死をたたえる殉国の丘に同居することになったのだ。 遺骨の集約には強い反対も(報道特集より) 国立戦…